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2011.01.19 Wednesday * | - | - | -
* 『文鳥・夢十夜』夏目漱石
評価:
夏目 漱石
新潮社
¥ 420
(1976-07)

 静かに聴いていると、丸くて細やかで、しかも非常に速やかである。菫程な小さい人が、黄金の槌で瑪瑙の碁石でもつづけ様に敲いている様な気がする。(「文鳥」より)

 虫の音を聴きながら、秋の夜に読むのにいいかと久しぶりに漱石を読む。
 昔読んだときには「夢十夜」が一番好きだったけど、今読むと「文鳥」がとてもいい。門下生の三重吉に勧められて文鳥を飼うことになった著者は、忙しさに紛れて次第に文鳥の世話を怠るようになり、そしてある日とうとう文鳥は死んでしまう。
 白く可憐な文鳥の姿に「淡雪の精の様な気がした。」と思い、文鳥が餌をついばむその微かな音に耳を済ませては、冒頭で引用したように「菫程な小さい人が、黄金の槌で瑪瑙の碁石でもつづけ様に敲いている様な気がする。」と思う著者。このあたりの描写が素敵。なんだ、気に入ってるじゃありませんか。三重吉があんまり言うもんだから・・・ってな風を見せているけど、飼ってみたらその姿を愛でている。可憐な文鳥に昔の女の面影を呼び起こされて、時折それと重ね合わせて見る。一見、文鳥ありきなのか、その女の思い出ありきなのかと思うけど、多分、文鳥の美しさと儚さを強調させるために、女の仕草を引き合いに出しているんだろうな。 
 おっかなびっくり文鳥の世話をするたびに、心の中で文鳥を持ってきた三重吉に文句を言うのには笑いました。世話の仕方を細かくレクチャーして帰った三重吉。ひとりになった著者が餌遣りをする際に、逃げないよう鳥籠の戸を押さえたはいいが、無心にチチチと啼く文鳥に、逃げると疑ったことを後悔して「三重吉は悪い事を教えた。」と思い、慣れれば指の先から餌を食べると聞いていつか自分もそれをやってみたいと何度もトライするものの、一向指先から餌を食べてくれない文鳥に落胆して「三重吉は嘘を吐いたに違いない。」と拗ねる。一羽の文鳥を前に、気難しげな先生が内心で一喜一憂している姿が微笑ましい。そうなんでも三重吉のせいにしては可哀想です(笑)
 しかしですね、文鳥が死んだのは裏表紙のあらすじに書いてあるような家人の不注意のせいじゃなくて、漱石先生の怠慢に因していると思いますよ。毎日執筆や金の無心に訪れる人々の相手に忙しい先生が、文鳥の世話にかかりきりになるのは到底無理でしょうが、一言細君や下女にこれこれよろしく頼むと言っておけばよかったんじゃないのかな。周囲もどこまで手を出していいのか図りかねていたのでは。文鳥が死んだと葉書をもらった三重吉も、返事に困ったことでしょう。

 掉尾を飾る「手紙」も、起承転結がきちっとあって面白かったです。重吉みたいな男は、性質が悪い。

【収録作】
 文鳥/夢十夜/永日小品/思い出す事など/ケーベル先生/変な音/手紙

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2009.09.12 Saturday * 02:36 | 古典・日本文学 | comments(0) | trackbacks(1)
* 『万葉集名歌の風景 時代を超えた心の旅 』鉄野昌弘(解説)、牧野貞之(写真)
天の海に 雲の波立ち 月の舟 星の林に 漕ぎ隠る見ゆ(柿本人麻呂 巻7-1068)

 天の香具山、畝傍山、御蓋山、女郎花、真弓、片栗、山橘などなど。歌の中で見たことはあるものの、実物を目にしたことのない風景や植物が歌に添えられて載っているので、歌のイメージがさらに深まります。
 10代の頃は繊細さや凝った技巧に惹かれて『古今和歌集』に夢中でしたが、最近になって『万葉集』の率直さをとても好ましく思うようになりました。天皇・皇族から奴婢に至るまで、様々な階級の人の歌が採られているのも、魅力のひとつ。

 そういえば、NHKで放送している「日めくり万葉集」というミニ番組を、毎日見ています。壇ふみさんの落ち着いたナレーションと、毎回紹介される一首とそれを推薦する人々の解釈が面白くて。それにこれもやはり映像が素敵なんですよね。うつくしい日本の風景を毎回見ることが出来て好きです。

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2009.06.19 Friday * 03:07 | 古典・日本文学 | comments(0) | trackbacks(0)
* 『伊勢物語』中村真一郎
評価:
中村 真一郎
世界文化社
¥ 2,520
(2007-01-10)
 行く水に数かくよりもはかなきは
   思はぬ人を思ふなりけり

 ホワイトデーにプレゼントされた本。事前に「欲しいぞ〜」ってアピールした結果であります(笑)
 私の中学時代はどっぷり日本の古典文学に浸りきった日々でした。『伊勢物語』はもちろん、『落窪物語』『雨月物語』『今昔物語』『宇治拾遺物語』『和泉式部日記』『古今集』『小倉百人一首』『蜻蛉日記』などなど。
 「むかし男ありけり」で始まる『伊勢物語』は、在原業平をモデルとしたある男の人生の旅路が書かれている、と国語の授業では教わりましたが、実際のところそれって後付っぽいですね。最初は数々の歌と挿話を集めていたのを、後から主人公を立てて物語風に脚色したような、そんなちぐはぐさも散見されます。……と、まあ、そういう難しい話は門外漢なので置いといて。

 「ビジュアル版 日本の古典に親しむ」というシリーズ名がついている通り、原文を省き、現代語訳と著者の解釈や背景の説明を美しい写真の数々が彩っていて、まずそれらに目が奪われました。歌や挿話に合った風景や植物の写真の他に、原本の写真や絵巻物、仮名で書かれた見事な手蹟にうっとり。
 冒頭で引用した歌や
 名にし負はばいざこと問はむ都鳥
   わが思ふ人はありやなしやと

などなど、有名な歌も多く収録されています。「から衣着つつなれにし〜」とか。挿話では、恋人を背負って逃げたものの鬼に女が食われてしまう「芥川」とか幼馴染の恋がやがて大人の男女の話になる「筒井筒」などが有名ですね。
 一時期、本当に在原業平が好きで、彼と藤原高子のスキャンダルとか、その後二条后となった高子と清和天皇の話とか、そのふたりの息子である陽成天皇の悲劇とか、そういう話を熱心に読み漁ってました。この本を眺めていたら、また古典に手を出したくなってきたなあ。

 ふと我に返って。
 『伊勢物語』の魅力ってなんでしょう。
 多種多様な恋物語が集約されているところ……かな。先に触れた「芥川」のような一大スキャンダルを下敷きにした話や、「筒井筒」のような純な話、三角関係、片思い、捨てる話、捨てられる話、騙す話、お互いに浮気をしてそれを詰りあって楽しむ話など、本当にいろんな男女の話が出てきます。
 すべてが派手で美々しいわけでなく、鄙での話もあれば荒れ果てた場所での恨み節もあり、終盤主人公の男が人生を嘆息して詠んだ歌などが加わってきて、通しで読むと妙に滋味があるんですよね。恋の話って一番人間臭い部分が出るものかもしれません。

 巻末に、『伊勢物語』ゆかりの地へのアクセスデータが載っていて、旅行に行きたくもなっちゃいました。
2007.03.17 Saturday * 01:41 | 古典・日本文学 | comments(2) | trackbacks(1)

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