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2011.01.19 Wednesday * | - | - | -
* 『刻まれない明日』三崎亜記
評価:
三崎 亜記
祥伝社
¥ 1,680
(2009-07-10)

 人が、過ぎ去った日々を「記憶」という形でとどめるように、道や建物は、そして街は、記憶を持っているだろうか。(「第五章 光のしるべ」より)

 十年ぶりに戻ってきた町で「歩行技師」を名乗る男性と知り合った沙弓の話(「序章 歩く人」)、その町にはないはずの第五分館の貸し出し記録を配布している「担当者」の手伝いをすることになった図書館司書藤森さんの話(「第一章 第五分館だより」)、町の消失で父を失い、他の者には聞こえない鐘の音が聞こえる駿と「共鳴士」鈴の話(「第二章 隔ての鐘」)、屋上でひとり紙ひこうきを飛ばす左腕の不自由な女性と知り合った坂口さんの話(「第三章 紙ひこうき」)、アルバイトをしながら路上で歌う宏至と町のあちこちに描かれた青い蝶の絵の話(「第四章 飛蝶」)、十年前の町の消失の時に被害を食い止めるために大きな代償を払うことになってしまった供給管理公社分局職員黒田の話(「第五章 光のしるべ」)、二年ぶりに町に戻ってきた「歩行技師」幡谷の話(「新たな序章 つながる道」)。

 『失われた町』と同じく、一瞬にして町が消えてしまった過去を持つ土地と、そこに係わる人々の物語。長編となっていますが、連作短編集といったほうがすんなりくるかな。『失われた町』は今まさに消え行く町と消失に抗う人々の「動」の物語。こちらは町の消失から十年後の、失ったものを悼みつつもその傷を抱えて新たな一歩を踏み出そうとする残された人々の「静」の物語だと思いました。
 三崎さんの作品ではいつも興味深い職種が出てきます。この本の中でも「歩行技師」が魅力的でした。やっていることはひたすら道を歩き続ける地味な内容で、同じ国土保全省の同僚からも一段低く見られているんですが、異国では「道守り」とも呼ばれる大切な仕事。道を道として定着させ、人の思いを繋ぐ人。考えてみたら、思い出の場所や昔住んでいた街を歩くとき、どんなに月日が経っていても足が覚えている感触っていうのがありますよね。あれは自分の身体が覚えているのか、それとも道と共鳴しているのか。
 話の中で印象的だったのは、「第三章 紙ひこうき」の中で消えた町行きのバスが最終運行する場面。誰も見ていないようでいて、運行路線に面した家々の窓辺にはそれをそっと見ている人影が絶えない、という描写が静かでさりげないけれど胸に沁みました。

 読む前は『失われた町』の続編かと思っていたのだけど、読んでみたら同じような過去を持つ別の町の話。両作品で消失事件に対する一応の説明はあるのですが、肝心な部分はまだ謎のまま。町単位で語られているので、国の中枢ではこれをどう考えているのか本当のところが見えません。すべての謎が説明されていないので、今後も町の消失に係わる物語が読めると信じて楽しみにしています。

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2009.09.05 Saturday * 01:11 | 三崎亜記 | comments(0) | trackbacks(0)
* 『廃墟建築士』三崎亜記
評価:
三崎 亜記
集英社
¥ 1,365
(2009-01-26)
 かつて「彼ら」は、図書館という名前ではなく、「本を統べる者」と呼ばれていた。
 多数の本を引き連れて世界の空を回遊し、「統べる者」同士が引き連れる本の多寡で覇を競いあったのは、もはや伝説にしか残っていない、はるか昔の話だ。(「図書館」より)

 まったくの異世界や別世界ではなく、今私たちが住んでいるこの世界をベースに、ちょっと不思議な法令や行政、文化などがプラスされた少しずれた世界観が面白い三崎亜記さんの短編集。感想を書いたつもりで書いてなかった……。第五作目にあたりますね。表題作に合わせて表紙も方眼紙のようなデザイン。

■「七階闘争」
 マンションの七階で起こった事件をきっかけに、町のすべての建物から七階をなくす条例が可決され、町からどんどん七階が消えていく。主人公の「僕」は、同僚の並川さんに誘われるままその反対運動に参加するのだが――。
 七階だけを消すというのは一体どうするものなのかと思いましたが、なるほどそういうことですか。「七階の誕生秘話」とか「イルムーシャの七階」とか、歴史的意義のある存在と裏付けるような文献やエピソードなどもちらっと出てきて、そこが三崎さんらしくていいですね。『となり町戦争』と似た雰囲気。
 ところでこのお話の中に「覆面着用の自由化に伴う支援策について」という議案が出てくるのだけど、するとこれは『鼓笛隊の襲来』収録の「覆面社員」と同じ世界なんですね。んでもって、「覆面社員」は『バスジャック』収録の短編「バスジャック」と同じ世界だから、このみっつの話は同一世界の出来事になるわけです。覆面着用の自由が確立され、バスジャックが公的に認められ、そして七階をめぐる闘争が起こっている町(世界)って!(笑) 思わず既刊作品を読み返して関連図みたいなのを作りたくなりました。

■「廃墟建築士」
 廃墟を文化芸術のひとつとして認めている世界。「第一種廃墟」「第二種廃墟」「みなし廃墟」などに分類され、廃墟先進国では廃墟専門のマイスター制度もあるという。主人公・関川は廃墟に見せられ廃墟建築士として生きてきたが――。
 廃墟の描写が美しい一編。特にラストシーンが印象的でした。実際にこちらの世界でも、廃墟の写真集や廃墟マニアの人たちがいるし、廃墟って眺めているとそこに至るまでの過去のドラマを想像させますよね。
 この話の中にも他作品へのリンクがあって、主人公・関川の修士論文の研究テーマが「二階扉による分散型都市モデル」。ってことは、『バスジャック』収録の「二階扉をつけてください」と同じ世界ですね。ふむ。今まで書かれた三崎作品は、もしかして全部同じ世界のお話なのかな。すべて地続きになってそうな。

■「図書館」
 図書館の本の中に眠る「野性」を解放し操る術を持つ「私」。派遣された先の図書館でもうまく本たちを調教できたはずだったのだが――。
 これは『バスジャック』の中の「動物園」に出てくるハヤカワ・トータルプランニングの日野原が主人公のお話。密かにシリーズ化してますね。今回は、「動物園」の時とはちょっと違った能力の使い方。
 本が飛ぶ様子がこれまた美しい光景に思えました。内容の分類ごとに本の性格も違って、飛び方にもそれぞれの特徴が出るところとか、閉架書庫に静かに収まっているのは長老たちだとか、もうこの話を読んでからは図書館に行くといろいろ想像しちゃいます。冒頭に引用した「本を統べる者」たちの物語も読んでみたいなあ。書いてほしいなあ。

■「蔵守」
 略奪者から蔵を守る蔵守。その蔵守と蔵の、ふたつの視点で交互に話は進んでいきます。蔵の視点が不思議な感じでした。意識を持った「蔵」の語りに気をとられていると、いつの間にかただの不思議な話から一歩奥へ足を踏み入れかけていることに気づきます。ポイントなのは「踏み入れかけている」というところ。蔵守という制度の向こうになにか大きなものが見えそうで……。別の角度からも見てみたい話でした。例えば蔵守を配備している行政側から、とか。

 ※集英社のサイトにこの本の試し読みページがあります。

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2009.05.16 Saturday * 04:39 | 三崎亜記 | comments(0) | trackbacks(0)
* 『鼓笛隊の襲来』三崎亜記
評価:
三崎亜記
光文社
¥ 1,470
(2008-03-20)
 赤道上に、戦後最大規模の鼓笛隊が発生した。
 鼓笛隊は、通常であれば偏西風の影響で東へと向きを変え、次第に勢力を弱めながらマーチングバンドへと転じるはずであった。(「鼓笛隊の襲来」より)

 相変わらず変なシチュエーションを考える人ですね、三崎さん。好きだなあ。以前「王様のブランチ」のブックコーナーに出演してらした時に、「ガソリンスタンドで旗を振っている人」についても面白い発想をされてましたっけ。あの時話してらしたことがいつか文章になって読めるんではないかと、新作が出るたびに思い出します。本書は短編集なんですが、どの話を読んでも意外な設定や奇妙な歪みがあって飽きません。そして、短編で終わらせてしまうのはもったいないと思う設定のものもありました。『となり町戦争』『バスジャック』『失われた町』に続く第四作目。

■鼓笛隊の襲来
 まるで大型台風か災害のようにその上陸が報道され、上陸ルート上にある家屋の住人には避難勧告が出るという、鼓笛隊の襲来。主人公の一家だけは、おばあちゃんの言に従って避難せずにいたのだが……。
 国が取った対策が、「オーケストラに鼓笛隊を迎え撃たせる」っていうのが笑えます。大変な事態らしいのに、どこかほのぼのしたおかしさが漂う。この鼓笛隊、読んでいるうちに「ハーメルンの笛吹き男」を思い出させました。だとするなら、主人公宅のおばあちゃんが取った対処法も納得。緊迫した冒頭から一転ほんわかした終わり方でした。これ、もっと長くして「過去に甚大な被害を生じさせた」と語られている「鼓笛隊二十六号」について書いて欲しいな。

■彼女の痕跡展
 ある朝、目覚めと同時に恋人を失った喪失感を感じた主人公。けれどそれがどんな人物だったのかもわからず、付き合った人物がいたという痕跡すらもない。なんの記憶も思い出もないのに、ただ胸に残る喪失感。そんな主人公がある時「彼女の痕跡展」という展示に出会う。
 初めての景色なのに妙に懐かしかったり、なにもないのに無闇に哀しくなったり。そんな時、デジャヴだとか郷愁だとかいう言葉を使ってなんとなくその感情を流してしまうけれど、もしかしたらそれには自分の失くしてしまった「過去」や「記憶」が関係しているのかもしれないな、と思わされたお話。私たちが語る思い出や過去は、必ずしも「完全な事実」ではないはずで、多かれ少なかれ欠損や装飾があるのだろうと思います。都合よく塗り替えられてしまうこともあるし。でもそれってきっと、その人にとって一番良い状態でいるための脳の働きなんでしょうね。全部が全部事実の通りに記憶されていったら、受け止めかねて辛くなりそうだもんなあ。

■覆面社員
 この話は『バスジャック』収録の短編「バスジャック」と同じ世界のお話でした。「バスジャック規正法」で激しい議論を見せる国会の中でひっそりと成立し施行された「覆面労働に関する法律」(通称「覆面法」)。労働者は覆面をつけて勤務する権利を有し、覆面をつけることで変わるのは見た目だけでなく、名前もキャリアも変わることになる。同僚の由香里が覆面をつけて出社したのを見て驚いた主人公だったが……。
 ここで書かれている覆面は、差し替えられる言葉を探すとすると「建前」や「人にそう見せているもうひとつの顔」となるでしょうか。覆面をつけたことで変わるもの、換わらないもの、そして変わるためにつけた覆面がいつの間にか素顔になってしまうような感覚。素顔で勝負出来ればそれが一番いいけれど、どうしても押さえ込まなければいけない感情や衝動もあるから、結局覆面を被らずにはいられないかもしれませんね。

■象さんすべり台のある街
 主人公が住む街の公園に新しい遊具が設置されるという。それが“象さんすべり台”だと知って主人公の幼い娘は喜ぶが、それは本物の象によるすべり台だった……。
 公園が自治体管轄なのはわかっていましたが、そこに設置される象もまた役所の所属になるという発想は面白かったです。象の語り口がまた初老の男性のような哀愁を帯びていて、ラストの一文がそこはかとなく物悲しかった。

■突起型選択装置(ボタン)
 主人公の彼女には、背中にボタンがあった。硬質な、明らかに人肌とは違う小さな突起。やがて主人公の前にボタンを管理しているという二人組みの男たちが現れる……。
 彼女の背中のボタンを押したらいったいなにが起こるのか。気になる、気になるけど、もし私が主人公だったとしたら押すのは怖いかもしれない。ああ、でもやっぱり押してみたい気もするなあ。

■「欠陥」住宅
 友人高橋に連絡がつかなくなった主人公が彼の家を訪ねると、細君が「見ることは出来るかもしれませんが、会うことはおそらく出来ないでしょう」と言う。訝しく思いながら家の中に入ると……。
 例えば、高層マンションや大きなホテルにある多くの窓。そこから見える景色は階層や向きの違い以外にも、まったく異なるモノが見えているかもしれません。もしそうだとしたら、逆にその建物の内部はどういうことになっているでしょう。不変の存在なのか、それともそこすら刻一刻と変化しているのか。そんな状況でなくても、ふたりの人間がいたら、そのふたりが見ている景色が同じものであるという確証はないわけです。そう考えると、ちょっと不安でせつなくなりませんか。

■遠距離・恋愛
 主人公とその恋人は、浮遊都市と地上の都市との遠距離恋愛中。隣町同士なのに、片方が上空に浮遊しているために、会えるのは数ヶ月に一度だけ。
 「浮遊特区」となった都市の新産業などは三崎さんらしいリアルさがありました。そこに書き添えられた、その都市に伝わる浮遊伝承とご神木と少女の部分に惹かれます。話の本筋とはちょっと逸れたところなんだけど、ここの部分を別の話として読みたいなあ。このお話自体は、ロマンティックなものでした。

■校庭
 娘の授業参観に出かけた主人公が見たのは、校庭の真ん中に建つ一軒の家。そして娘のクラスに居た、周りからまるで存在していないかの扱いを受けているひとりの少女だった……。
 これは怖かったですねえ。はっきりとした怖さじゃなくて、読後じんわりと怖くなる話でした。もし自分の身に起こったら、そう考えると怖い。でもこれって、超常現象の怖さじゃなくて、社会性を剥奪される怖さかな。

■同じ空を見上げて
 5年前の2月3日、763名の乗客と乗務員を乗せたまま忽然と消えてしまった下り451列車。それ以来、恋人の帰りを待ち続ける主人公。毎年2月3日になるとその現場に足を運ぶのだが……。
 哀しいけれど前向きなお話でした。というか、ずっと同じ場所に立ち止まっていた主人公が、前に向き直るまでを書いたお話。諦めるにも前に進むにも、はっきりとしたなにかがないとなかなか動けませんよね。そういう意味では、忽然と姿を消してしまったという状況は、残された人たちにとっては残酷なものだと思います。どうしても一縷の望みを捨てきれない。でもどこかで折り合いをつけなければ、残りの人生を歩み出せない。ちょっと『バスジャック』収録の「送りの夏」というお話と通じるものがある気がしました。

 さまざまなシチュエーションの話が詰まっていて、三崎ワールドを堪能しました。

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2008.05.01 Thursday * 00:42 | 三崎亜記 | comments(2) | trackbacks(5)
* 『失われた町』三崎亜記
4087748308失われた町三崎 亜記 集英社 2006-11by G-Tools

 デビュー作『となり町戦争』を読んだとき、設定や話の中に差し込まれる公文書などの凝った造りは好みただけど話自体はもう一歩でしばらく様子見だと思っていた。二作目の『バスジャック』を読んだとき、一作目よりも面白く読んでこの先楽しみな作家だと心の中のメモ帳に要チェックの印をつけた。そして三作目の本書。やった! きた! 私のストライクゾーンにバシッときた!
 この本の中には、三崎ワールドがこれでもかと詰め込まれている。

 30年に一度、原因もわからずに起こる町単位での住民の消滅。それはどうやら町の意志で起きるらしい。失われた町や人々を悲しめば、町はその人たちをも消滅させてしまう。その「余滅」を防ぐため、政府は消滅した町の痕跡を徹底的に抹消し、消滅した町を始めからなかったものにする作業を進める。愛する者たちを唐突に奪われる理不尽さ。そしてそれを悲しむことも許されない状況。そして失われた町は禁忌となり、係わったものに対する「穢れ」という差別が生まれた。愛する物を失った人々はこの消滅現象を食い止めることが出来るのか。

 いやもう、面白かった。ぐいぐい先を読まされた。ただところどころに違和感があることはあった。章ごとに語り手が代わるのはいいけれど、その話の中で登場人物に時々「さん」づけがされるのが妙な感じだった。なんとなく変だなと思っていたら、これは連作短編として小説すばるに連載されていたものだとか。なるほど。
 話の中で「さん」づけされるのは、白瀬さん(彼女が主役の章では「桂子さん」)、脇坂さん、中西さん。そのうち呼び名が章によってかわるのは白瀬桂子だけ。これはなにを意味しているんだろう。彼女と脇坂がメインの章だけ、登場人物の誰かが後に聞いたことを文章にしている、あるいは書き記しているという形式にしようと思っていたのだろうか。そこらへん、もう一度読み返したらなにかヒントがあったりして。

 始めは今私たちの暮らす日本とほぼかわらない場所で起こっている話として読んでいたが、章が進むにつれてどんどんオリジナル設定が顔を出し、「あれ? あれれ?」と思っているうちにすっかりそこはここではない異世界へとなっていた。大きなことから小さなことまで、実に凝っている。その凝りようがまた楽しいと思うのは、もともとSFが好きだからだろうか。
 あるひとつの世界があって、書かれているのはそこに住む者たちが交わしている会話なり描写なりであるのだから、読者が知らない社会制度や文化、風俗も出てくる。それを全部解説していたら、とても話は収束しないだろう。だから、失われた町に係わってくるもの以外については説明なしに進んでいく。そこについてこられるかどうか、あるいは説明されない不安や鬱憤を脇に放っておくことができるかどうかで、この話の評価や感想がかわるだろう。

 ストーリーを追いながら、時々もったいないなとも思っていた。ここに詰め込まれている凝りに凝った設定を使って、あと二、三本長編が書けるんじゃないかと思ったのだ。例えば、奏者の意識や想念を自由に飛ばすことの出来る「古奏器」をメインにした民話的ファンタジーか伝奇もの、「自己同一性障害」の治療で一人の人間を本体と別体と分離するエピソードを広げて本格的なSFなどなど。そういうアイディアを惜しげもなくこれでもかと突っ込んでいるところは、デビュー間もなくアイディア溢れる作家さんだからか。将来的にこの本が、いくつかのシリーズものを繋ぐ本になれば面白いと思う。恩田陸の『三月は深き紅の淵を』のように。

 肝心な内容については、登場人物たちがいろんな行動をとり、それがやがて一本の道へと繋がってゆくのが気持ちよかった。途中、桂子と脇坂の章でどんどん話が横道に逸れていくように見えたときには「どこにいっちゃうんだ、この話は」と思ったけど、その広がりもまた失われた町の消滅を防ぐために必要な物事のリンクであったし。
 登場人物たちはみな、辛い思いをしながらも前に向かって歩き出す。傷つきながらも一歩踏み出す。読んでいる間中どんなにあちこち振り回されても、彼らがひとつの目的に向かって進んでいるからこっちもついていけた。そして、その道がひとつに繋がったとき、まるで彼らと共に苦労してきたように「ああ、やっと……」という感慨があった。特殊な世界観の描写に力を入れているなという印象が、最後には闘う人々の物語を読んだという感想にかわった。
 好みの分かれる作品だと思う。
 読む人を選ぶ内容だとも思う。
 しかし、これは三崎亜記という作家にとって大きな一作になったんじゃないだろうか。
 やがて、空の際が夜の色を深め、宵の明星が光る頃、それは始まった。
「あ……、光」
 月ヶ瀬に、一つ、また一つと、明かりが灯り始めたのだ。光は、まるで一日の終わりの夕餉の明かりのように広がっていった。住む者のいない町に。
 (本文より)
2007.01.19 Friday * 22:22 | 三崎亜記 | comments(0) | trackbacks(1)
* 『バスジャック』三崎亜記
バスジャックバスジャック三崎 亜記 集英社 2005-11-26売り上げランキング : Amazonで詳しく見る by G-Tools

 『となり町戦争』でデビューした三崎氏の第二作。なんとも不思議な7つのお話からなる短編集です。SFのカテゴリに入れてもいいくらいなのですが、ご本人はSFを書いているつもりがなさそうなので、フィクションに分類しておきます。

 ■二階扉をつけてください
 出産で留守にしている妻に代わってひとり家にいる主人公のところに、近所の人と思われる女性が「回覧板に書いてあったでしょ! お宅だけなんですからね、早く二階扉をつけてださいよ」と文句を言いにきた。普段から回覧板など見ない主人公は、周囲の家々を見渡してどの家にも二階に扉がついていることを知る。二階扉というものの意味がわからないまま電話帳で調べた業者に取付を頼み、その使い方も知らぬまま放っておいたある日、妻から生まれたばかりの赤ん坊を連れて帰宅するとの連絡が入り……。

 本書の中でも一番私の好みでした。小松左京の短編のような。前半の、いつの間にか周囲に取り残されている主人公と奇妙な二階扉とその見積もり書など、不思議な設定に引き込まれます。そして、ラストシーンで冷水を浴びせられたような気分に。私、この主人公と同じで、あんまり気を入れて回覧板を見ないほうなんですよー。こ、怖かった……。ラストの主人公の呟きがぞわぞわしました。これからは、回覧板をちゃんと読もう。

 ■しあわせな光
 わずか数ページのとても短い話なのであらすじは書きませんが、先の「二階扉を〜」が小松左京だとすると、こちらは星新一のショートショートのようでした。でも、ぽっと胸にあたたかい灯がともるような読後感でしたね。

 ■二人の記憶
 僕の記憶と彼女の記憶にはズレがある。昨日したこと、食べたもの、ふたりで旅したことのない場所での思い出話。思い違いの重なりなのか、彼女がおかしいのか。それとも自分の頭に問題があって食い違うのか……

 例えば同じものを見ていても、人によっては受け取り方、見え方が違っているのかもしれない。林檎がそこにあったとして、私は真赤な林檎だと思っているけれど、他の人にはそれほど赤く見えていないとか。このふたりのズレがどうしておこるのかはわからないけれど、それをまるごと引き受けようと思えたら、それを愛情と呼ぶのでしょうか。

 ■バスジャック
 「バスジャック」をすることがブームである世界の話。「バスジャック公式サイト」では、移動距離・占拠時間・総報道時間・オリジナリティの四つの観点からランキングが更新され、「バスジャック規正法」でバスジャックが法的に認められている。ある日主人公の乗ったバスで、バスジャック犯たちがバスジャック開始の名乗りを上げ……。

 これも面白かったなあ。「二階扉を〜」の次にこの話が好きです。バスジャックが公的に認可された世界のおかしさ。この世界の細々とした説明もまた楽しい。「血の闘争」と呼ばれる有名なバスジャック事件があったり、それを元に法が制定されたり。また、バスジャックされた側の乗員や乗客も慣れたもので、バスジャック犯に向かって「なっていない」とやり方にケチをつけたりする。たっぷりこの世界を堪能した後に待ち受けているどんでん返しもよかったです。

 ■雨降る夜に
 一人暮らしの主人公の部屋を、図書館と思い込んで本を借りに来る女性と主人公の話。

 雨の日にやってくるというのが上手い。これが晴天白日の下に訪ねて来られたら、ちょっと頭のおかしい人かと思うところです(笑) エルトン・ジョンの曲がバックに流れていそうな雰囲気のお話でした。その後、ふたりはどうなったんでしょうね。

 ■動物園
 動物園であたかもそこに動物がいるように幻影をみせることを職業としている日野原(女性)の話。動物園の職員達は彼女に白い目を向け距離を置くが、その幻影の完成度に驚く。しかし、そこでの仕事をライバル会社にとられ……。

 動物の幻影を見せるという能力を持つ人たちが起こした会社は、日野原の会社だけではありません。この世界にはいくつもこのような会社があるようです。一種の隙間産業ですが、そこでも熾烈な競争があって、そして大勢の観客達に晒されたとき能力者たちの真価が試されるのです。作り手によって、息遣いまでも伝わってきそうな幻影がそこに生まれる。私は逆に見てみたいけどな、そういうイメージで構成された動物。

 ■送りの夏
 小学生の麻美は、家出した母を追って「つつみが浜」という見知らぬ土地をひとりで訪ねる。そこで知り合った不思議な人たち。精巧な人形たちと暮らす人々のいる「若草荘」。そこには麻美の母もいて――。

 主人公の麻美を真っ向から「死」というものと向きあわせている作者に、ちょっと驚きながら読み進めました。小学生にはディープじゃないかと思ったりもしたけれど、大切な人との別れの哀しさや「死ぬ」という出来事を考え抜くことは、早い遅いというものではないですね。「若草荘」で行われる死者を送る儀式のシーンが印象深い。内容は全く違うけれど、湯本香樹実さんの『夏の庭』を思い出しました。そして、私も大きくて大切な存在を亡くした経験があるので、こんな風にゆっくり、ゆっくりと、死者との別れを惜しみたかったな、とちょっと淋しく思ったりもしました。

 全体を通して、どれも面白かったです。これからの作品も要チェックだな。
 【収録作】二階扉をつけてください/しあわせな光/二人の記憶/バスジャック/雨降る夜に/動物園/送りの夏
2006.01.19 Thursday * 19:33 | 三崎亜記 | comments(0) | trackbacks(1)
* 『となり町戦争』三崎亜記
4087747409となり町戦争三崎 亜記 集英社 2004-12売り上げランキング : 6,884おすすめ平均 Amazonで詳しく見る by G-Tools

 ある日ふと目にとまった町の広報での「となり町との戦争が始まりました」の文章。主人公は半信半疑ながらも、公募されている特別従事者に応募する。その任務とはとなり町のスパイ活動をすることなのだが、自治体が公共事業として戦争を行っているため、すべてが役所的な事務手続きで処理されていく。市の特別職員として印鑑と筆記具を役場に呼ばれたり。そこには戦争という生々しいものの実感はない。けれど、毎月発行されている公報では、交通事故者数などと一緒に明記されている「今月の戦死者数」がどんどん増え続けている。爆撃音も銃撃戦もない、いつもの一見平穏な町。戦争はどこで起こっているのか。

 主人公が実感のないまま調査報告をし、それは表面上とても瑣末などうでもよいことのように思われる報告の数々なのに、役所では彼の「調査」によって成果が上がっているという。その「成果」というのはどういうことなのか、具体的な説明はされないまま。やがて偽名を使いとなり町に移住する主人公。怪しまれないために、役所の職員の女性と婚姻届を出して移住する。それは戦時下の特別措置として後で戸籍から抹消できるらしい。すべてが公的書類を通じて公的に処理される。主人公が提出する幾つもの書類も本書の中にはそのまま出てくるのだけれど、役所言葉で書かれた文面は無味乾燥で戦争というものを感じさせない。そもそも、公的事業として戦争を行うというのはどういう政策なのだろう。数年前からとなり町と取り決めあっていたというが……。
 表立って住民達の話題に戦争がのぼることもない。それなのに特別従事者としてとなり町に越すことになった主人公に、会社は「行政から事情は聞いている」とそれなりの対応をみせたりもする。なんだか不気味だ。
 静かで、あまりにも淡々としていて、逆にこういうことも有り得るかも、と思わされた。
2005.11.07 Monday * 12:43 | 三崎亜記 | comments(0) | trackbacks(1)

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