10年以上前のものから最近のものまで、北村さんの未収録短編9つを集めた短編集。
北村さんの本は装丁の美しいものが多いですね。恩田陸さんの本も装丁をいつも楽しみにしているんですけど、北村さんの本もこれとか
『ニッポン硬貨の謎』とか
『盤上の敵』とか
『語り女たち』なんかは、あまりに美しいので奮発してハードカバーで買っちゃいたくなります。
■溶けていく
ホラー。就職難の中、新卒でようやく入社した美咲は、ある日どうしてもアイスが食べたくなってコンビニへ行く。けれど、そこで職場の人間そっくりの登場人物たちが出てくる漫画を見つけ――。
会社や自分の現状に対する鬱屈は誰にでもあるもの。それとどう折り合いをつけていくかが社会人だとは思うのですが、美咲のようにある捌け口を見つけてしまったとき、そこへ逃避せずにいられるかどうか。冒頭でアイスクリームを欲しがっていた美咲自身が、まるでアイスのようにドロドロと壊れてゆく様が怖いです。
■紙魚家崩壊
探偵小説。「両手が恋している女と探偵との第三十七番目の事件」
冒頭のこの一文と、本当にある女性の右手と左手がそれぞれ恋し合っている描写を読んでいたら、川端康成の「片腕」という耽美で幻想的な短編を思い出しました。そっちは「一晩だけ、あたくしの腕を可愛がってやってくださいまし」と女が貸してくれた片腕と同衾する男の話なんですけど、指とか手の描写というのは、どうしてこんなにもエロティックになるのでしょう。おっと、それはこの短編の本筋とは関係ないので置いておきます。危ない危ない。脇道に逸れるところだった。
書物収集狂の紙魚家主人とその妻を訪ねた探偵と女。しかし本で溢れかえった密室の中で、紙魚家の妻が死んでいた――。いや、これ世の読書家・積読家は笑えない話じゃないかと。私は身につまされるものがありました(笑) 探偵が謎解きをするのですが、助手(?)の女性が心の中でそれに疑問を唱えます。一見論理的な解決の探偵の謎解きと、パズルとしての回答ではなく人間の感情として納得のいく女性の推理。真相としてはどちらもありえそうですが、本文中の女性の独白に、本格ミステリ好き、探偵小説好きな私は「嗚呼……」と頭を垂れるのです。
けれど、探偵はそういいませんでした。だから、それは真実ではないのです。(「紙魚家崩壊」本文より)
そうです。探偵小説において探偵の謎解きは絶対です。彼は神なのです。どんなに納得のいく推論が他にあろうとも、探偵がそうだと言わなければ、それは真実ではないのです。そして、その絶対神が出てくる探偵小説を、私は好きで好きでしょうがないのです。
タイトルはもちろん「アッシャー家の崩壊」からきてるのでしょう。ラストはこのタイトルに相応しい風景が描かれています。
■死と密室
探偵小説。「両手が恋している女と探偵との第三十八番目の事件」
感想を見てもらえれば一目瞭然ですが、本書の中で「紙魚家〜」とこの話が特にお気に入りです。これをシリーズにして、丸々一冊彼らの話が読みたいです。書いてくれないかなー、北村さん。探偵の推理とその反証の繰り返しは、ちょっとメタミステリっぽいですね。
リタイアした作家たちによる老人ホームでこれから起こる完璧な密室殺人事件に立ち会って欲しいと要請され、探偵と女は出かけて行くが――。
起こってしまった事件ではなく、これから起こる“完璧な”密室殺人事件のために探偵が呼ばれるという、一見奇妙な物語です。が、逆に考えてみれば“完璧な”密室殺人が起こればそれを解ける者はおらず、そればかりか完璧さゆえに事件とさえ思われずに終わるかもしれないわけですから、それを考えついた人間にとっては口惜しいことでしょう。予め探偵を立会人に指名するというのもありかもしれません。
解けない謎は氷で作った球体のように美しく、そして誰にも気づかれない謎はただ水泡に帰すだけです。
ミステリを好まない人からよく言われるのは、「人を殺したときに、なんでわざわざそんな面倒なトリックを考えて実行する必要があるのか」という言葉。この話の中にそのものずばりな答えがあるわけではありませんが、ラストのなぜ老人たちはわざわざ探偵を密室事件の立会人に指名したのか、のあたりを読んでいたらその問いの答えとなんだかダブるような気がしました。
■白い朝
日常の謎。北村さんを愛読している人なら「これはもしかして、アノ人の初めての事件では?」と思うことでしょう。
家に停めてあった車のサイドミラーだけは、どんなに寒い朝でも曇っていなかった。家族が不思議がる中、年下の従弟だけがその理由をそっと主人公に解いてみせた。
北村さんらしい、少しの含羞と綺麗な情景の見える短編です。
■サイコロ、コロコロ
■おにぎり、ぎりぎり
どちらも同じ登場人物たちによる日常の謎。
10角のサイコロを持った男が言う、そんなサイコロの必要な職業とは――。
山へフィールドワークに出かけた際、みんなで持ち寄ったおにぎりから推理されることは――。
ほのぼの明るくてユーモアのある二編。「円紫さんと私」シリーズでも思うことですが、どうして北村さんはこんなにも女性の機微がわかるんでしょう。不思議だ。ちなみに、私の握るおにぎりは三角形をしています。(読むと、自分のおにぎりの形を確認したくなりますよ)
■蝶
二者の会話のみで構成された幻想的なお話。
下手するとネタバレになりそうで、あまり多くは語れません。
■俺の席
「世にも奇妙な物語」風ホラー。あるとき乗った電車は毎朝通勤に使っている電車だったが、始発駅から乗ったので初めて座る事が出来た。しかし、ひとりの男が目の前に立ち自分のことを睨みつけ――。
私も以前、始発駅から通勤電車に乗っていましたけど、自然とその車両の顔ぶれが固定されてきて、座る位置や立ち位置が決まってくるもんなんですよね。あのサラリーマンは必ず新聞を読むとか、あの学生さんは途中で降りるからその前に立っていれば座れるぞとか。なので、身近にありそうな話でした。
■新釈おとぎばなし
「アリ」を「アレ(It)」と一文字変えただけで、なにやらキング風にじわりと怖くなる「アリとキリギリス」。
「かちかち山」を元にした、タヌキによる「おばあさん殺害事件」を女探偵兼保険調査員のウサギが解決する本格ミステリ。
「かちかち山」が特に面白かったです。すごいなあ、これ。昔話っていろいろと料理できる素材だとは思いますが、こんなにしっかく本格ミステリになるとは! しかもユーモアたっぷりに。読んでいるとなぜかウサギさんが、『女には向かない職業』のコーデリアみたいに思えたんですけど、コーデリアよりも強かかな。
<収録作品>溶けていく/紙魚家崩壊/死と密室/白い朝/サイコロ、コロコロ/おにぎり、ぎりぎり/蝶/俺の席/新釈おとぎばなし