|
評価:
本多 孝好
双葉社
¥ 1,575
(2007-05)
|
ここで僕が反撃したら、あなたの正義が正しいことになってしまうから。そんなことだけは、絶対にしないんだ。今の僕にできることはそれだけしかないけど。それだけしかないから。だから、そんなことは絶対にしてやらないんだ。(本文より)
面白かった! 400頁以上あるこの本を一気読みしました。
これまでの本多さんらしい静かで端正な雰囲気と文章は、今回影を潜めています。主人公が超のつくいじめられっこで、物語がすべて彼の一人称で語られているのでいたしかたなし。けれど、また本多さんのあの雰囲気のある文章を読みたいなあ。
さて、この話の主人公蓮見亮太は高校三年間をいじめられ続けて過ごしました。具体的な描写はほとんど出てこないけれど、ちらりちらりと見えるそのいじめは悲惨なものであったと想像されます。それほどのいじめに遭っても、亮太の語りはどこか淡々としていて卑屈にならず、読者に重苦しい湿り気を感じさせません。だから読みやすかったし、大学へ入ってからの出来事がコミカルに感じたりもしていました。「正義の味方研究部」(略してセイケン)に入部し、そこでの活動が描かれている場面は爽快ですらあった。
でも、中盤で正義の味方研究部の潜入捜査を始めたあたりから、いじめやリストラ、留学生問題、格差の生じている今の社会体系についてなど考えさせられるようになり、それが今までいじめを受けてきたいわば“弱者”である亮太の目から見た問いかけと迷いであるがゆえに、「正義とはなんぞや」ということをこっちも深く考え込んでしまいました。もうそこに至るまでに、亮太の物の見方や考え方に私が視点を添わせて読むようになってたんですよね。だから亮太に同化するようにして迷ってしまった。
だって、学内で密かに進行していた悪事に関与していたある人物が、私にも亮太にも悪人だと断言できなかったんですもん。確かに悪いことをしている。けど、嫌いではない。思わず同調してしまいそうになる部分も少しある。まるでそう、『DEATH NOTE』を読んでいるときの、夜神月に対する気持ちと似ています。カリスマ性を持つ人間に惹かれるタイプって二種類あるかな。自分も一緒になって世界を変えたいと思うタイプと、自分の無力さを充分知っているからその人のすることを見ていたいと思うタイプ。まだ見ぬ地平に連れて行ってくれるなんて言われたら、ぐらっときちゃいますよねえ。現状に不満を持っている人間なら、つい流されそうになってしまうと思うんです。ましてやそれまで虐げられていた亮太なら尚更。
そう思って読んでいたので、この決着のつけ方が私は気に入ったというか、納得がいったんです。亮太の強さも感じたし、亮太や亮太の父親のような恰好悪いやり方で生きていく人肌の温かさみたいなものも感じました。
正義の味方研究部の活躍譚にしておけばこの先シリーズ化もあっただろうに、そうしなかった本多さんの青臭さみたいなところにも好感が持てました。思えば本多さんの書く主人公たちって、みんなどこか青臭さが抜けない気がします。そこが魅力でもあるかな。
正義を語るのに資格はいらないはず。だけど、どこまで人は公明正大にそれを語ることができるでしょう。やった側にはやった側の、やられた側にはやられた側の見方がある。自分の事情や感情で物事は善にも悪にもなるものです。絶対悪というのは存在するのか。自分の正義と、他人や社会の正義とではどれほどの開きがあるのか。タイトルにある「ミカタ」という言葉のダブルミーニングを、読後しばし考えてみたりしたのでした。
本ブログ 読書日記