広告代理店の部長を務める50歳の「私」は、原因不明の頭痛に襲われるようになる。診察の結果告げられた病名は若年性アルツハイマー。徐々に記憶が薄れ、取引先とのアポイントメントやその所在地も記憶できなくなる。自分や家族のこともわからなくなる。やがて病気のことが勤務先に知られてしまい……。
若年性アルツハイマーにかかった男性の話。
アルツハイマーという病名は聞き馴染みがあったものの、それが100%死に至る病だということは知りませんでした。脳梗塞などによる認知症とはまったく別のものだということも、不勉強ながら知りませんでした。
ボケとか痴呆症というと、ついあまり深刻な響きはないように思ってしまいがちですが、人格が壊れていくアルツハイマーという病気はとても恐ろしく、そして哀しい。
物事が覚えられなくなる、周囲の人間が識別できなくなる、自分で自分がわからなくなる、汚物と食物の区別ができなくなる、字も数も生まれてから学習したことが消えてゆく、そしてやがて身体が生きるということを忘れてしまう。
はじめのほうで、内臓疾患だと思って医者にかかった主人公が、次のような質問をされて憮然とするシーンがあります。
「今日は何日ですか」
「今日は何曜日ですか」
「今言った数字を反対からいってみて下さい」
なにを簡単なことを、とせせら笑いながら口を開くが、言葉が出てこない。
今日は何日だ?
何曜日だ?
焦った脳はただ真っ白になるだけで答えを明示してはくれない。
そこのところを読んでいて急に不安になり、私は大丈夫だろうかと主人公と一緒になって答えていました。
症状がどんどん進み、私だったらもう退職して家にひきこもってしまいそうな時点に達しても、この主人公はなんとか社会と自分の繋がりを保とうと足掻きます。
家族のためでもあり、自分のアイデンティティのためでもあるからです。
人は社会的な生き物だ、と言ったのは誰だったか。集団の中にあるからこそ個は確立される。個体が周囲と断絶されたとき、過去も未来もない危うい意識が漂うだけとなってしまうのではないでしょうか。
この主人公のもがき苦しむ様は胸を打ちます。
甘い感動ではなく、切ない痛みで。
人の名前や今日食べたものを書いたメモ用紙で、背広のポケットというポケットがぱんぱんに膨らんでも仕事を続けようとする主人公は、若者にはない粘りがあります。それは性格的なものではなく、歳を重ねて得たものの数とそれを大事にしている思いの強さの現れでしょう。
商談に出かけた先で右も左もわからなくなり、ポケットのメモを取り出そうとして交差点にぶちまけてしまった紙片の数々を、必死になって拾っている姿は、まるで零れ落ちた脳味噌を掻き集めているようでした。
切なくて切なくて、読んでいて目頭が熱くなりました。
「いい名前ですね」(本文より)
これだけの台詞にどれだけ泣かされたか。
ラストシーンもとても切ないけれど、すべてを失くしてもまだ、心のどこかに残っているものはあるのだとほんの少しだけ救いを感じました。奥さんの立場に立って読んでみたら、また違った哀しさがあるでしょう。
もしこれが自分だったら、
家族や恋人だったら、
どうすることができるだろう。
是非読んでみて欲しい一冊です。