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2011.01.19 Wednesday * | - | - | -
* 『天狗風―霊験お初捕物控(二)』宮部みゆき
 一陣の風が吹いたとき、嫁入り前の娘が次々と神隠しに――。不思議な力をもつお初は、算学の道場に通う右京之介とともに、忽然と姿を消した娘たちの行方を追うことになった。ところが闇に響く謎の声や観音様の姿を借りたもののけに翻弄され、調べは難航する。『震える岩』につづく"霊験お初捕物控"第二弾。

 霊験お初シリーズ『震える岩』の続編。前作は赤穂浪士の討ち入りという史実を織り込んだ歴史ミステリになっていたが、今回はよりSFちっく。なんでもありな自由奔放さを感じた。時代物とはいえ、エンターテイメントに徹した娯楽作品。意外と好き嫌いの分かれるシリーズかもしれないな。本格的な時代物が好きな人には、この霊験だのなんだのってのは胡散臭いSFもどきだろうし、そういったものが混在してても楽しめればそれでオッケーな人には、非常に面白く読めるんではないかと。
 表紙を見るとわかるように、今回は猫が大活躍。お初を助け導いてくれる存在だ。テーマは「美」と、「美しさとは、それを見る者の心の中だけにある」ということ。女性なら誰でも一度は美しくなりたいと思ったことがあるはず。そして美しく生まれついたものは、その美に固執することも多い。誰かを羨んだり妬んだり。そんな心の闇に忍び込む魔。これは男の人にはいまいち理解できない感情かも。女性が読んだほうが共感できそうだ。
 魔物にさらわれた娘達が閉じ込められた時空が、満開の桜咲くそれはそれは美しい場所というのがまた、「美」に対する魔物の妄執を感じさせる。桜というのはなぜ「魔」を連想させるんだろうか。あのあまりにも美しい姿が、この世ならぬものに思えるからだろうか。

 今回は少々影の薄かった右京之介。次回はもっと彼の算学が生かされた推理が読みたいな。
2007.04.29 Sunday * 00:25 | 宮部みゆき | comments(2) | trackbacks(0)
* 『風が強く吹いている』三浦しをん
評価:
三浦 しをん
新潮社
¥ 1,890
(2006-09-21)
 走る姿がこんなにうつくしいなんて、知らなかった。これはなんて原始的で、孤独なスポーツなんだろう。だれも彼らを支えることはできない。まわりにどれだけ観客がいても、一緒に練習したチームメイトがいても、あのひとたちはいま、たった一人で、体の機能を全部使って走りつづけている。(本文より)

 一気読みでした。面白かった!
 高校時代の不祥事が原因で陸上から離れたものの、走ることからは離れられずにいた寛政大学一年生の蔵原走(カケル)と、同じく寛政大学四年生で、高校時代の無理な練習が祟って足を故障してしまった清瀬灰二(ハイジ)が出会ったことから物語は始まる。走れなくなったつらさを越えて再び復調しつつあるハイジは、カケルをオンボロアパート“竹青荘”に入居させ、そこに住まう同大学生十名によって箱根駅伝を目指すことを宣言。呆気にとられる住人たちを叱咤激励、強権発動してその気にさせ、飴と鞭を使い分け陸上ド素人たちの集まりを鍛え上げていく。そうして、箱根駅伝始まって以来の走者ぴったり十名の弱小部として予選会へ挑み……。

 箱根駅伝はいつも見ています。最初から最後まできっちり見るという見方ではなく、他の番組を見つつ、経過が気になってちょくちょくチャンネルを合わせる感じ。で、気づくと見入っちゃってたりするんですよね。快調に飛ばしている姿もいいけど、故障や体調の悪さでつらそうにしているともう駄目です。なんか泣けてきて応援しちゃう。知り合いでもなんでもないのに肩入れしちゃう。思えば不思議な正月行事であります。

 この話に出てくる寛政大学メンバーは、みんなを半ば無理矢理箱根駅伝に参加させたハイジと高校時代に名声を得ながら挫折しているカケルのふたり以外、ずぶの素人です。(かろうじてニコチャンは経験者だけど、ブランクがある) 華やかな顔立ちなのにマンガオタクの王子、陸上やスポーツとはまったく縁のない黒人留学生ムサ、サッカー経験者で天真爛漫な双子のジョータとジョージ、田舎の出身で体力には自信のある神童、在学中にもう司法試験に合格している知性派のユキ、陸上経験者とはいえヘビースモーカーで太っているニコチャン、クイズ番組はすべて録画して見ているクイズ王のキング。
 彼らが嫌々始めながらも次第に走ることの楽しさ面白さを知っていく過程と、いざ箱ね駅伝に出場することになったときの、十人全員のそれぞれの気持ちが語られる場面がいいんです。個性豊かな面子だとは思っていたけれど、それぞれに思うところや期するものがあり、そして人には言えない鬱屈もあったのだと、それまで結構笑えるエピソードが多かっただけに、そのギャップが胸にきます。特にキング。せつないなあ。自分が彼らのマネージャーかなにかになったような気持ちで一緒に見守る、そんな読み方をしてました。
 共に笑い、共に怒り、共に泣き。
 この人たちの中に入っていきたい。一緒にあのボロアパートで過ごしてみたい。箱根目指してハイジにしごかれたい(笑) いつもは外側から物語を眺めている読者だけど、この話本当に向こうへ行きたいと思わせてくれました。来年の箱根駅伝は、かじりついて見てしまいそう。
 それにしても、ハイジの管理能力の高さと全員の性格や特性を活かした指導力はすごい。お見事としかいいようがないくらい。ぱっと見非常に好青年なのに、実は腹黒いところも素敵。他大学の学生にインネンつけられたときの寛政大学メンバーたちが面白かったです。相手に対してどうこうよりも「ハイジがキレそう…!」とびびってる姿が。普段温和な人ほど、怒らせると怖いですよね。
2007.04.26 Thursday * 17:55 | 国内その他 | comments(2) | trackbacks(0)
* 『大東京三十五区 冥都七事件』物集高音
 末だ闇深き「冥都東京」に現わる七ツの謎、謎、謎―血を吐く松、石雨れる家、夜泣きする石、迷路の人間消失、予言なす小さ子、消える幽霊電車、天に浮かぶ文字―これら奇々怪々、不思議千万の事件を取材するは、早稲田の芋ッ書生にして、雑誌の種とり記者の阿閉万(あとじよろず)。かたや、その綾を解いて見せるは、下宿館の家主で、「玄翁先生」こと間直瀬玄蕃(まなせげんぱ)。この大家と店子の珍妙なる問答の末に、明かされる意外な真相とは? 安楽椅子ならぬ"縁側探偵"の名推理とは?(「BOOK」データベースより)

 講釈師の弁舌を聞いているような、昭和初期の香り色濃く匂い立つ洒脱な語り口。慣れるまでに、ちと時間がかかるかもしれない。けれどひとたびその語りに身を任せてみれば、ふと口に乗せて音読したくなる独特のリズム。当時の帝都の情景や風俗が見えてくる。家主のご隠居さんと書生のちょろ万のやりとりは、落語を聞いているよう。
 ちょろ万が持ち込む事件は、みな新聞・雑誌等で怪異譚として扱われていたものばかり。それを玄翁先生が鮮やかに解くのは、チョーンと拍子木が鳴るような爽快さ。明解な解答ばかりでもなく、微かに謎が残る話もある。七つの話を通して読んでいて、ラストの七編目でなんと玄翁先生の正体が明らかになる、というどんでん返しもあって厭きなかった。
 帯で京極夏彦が推薦文を書いているが、如何にも彼の好きそうな本だ。
2007.04.25 Wednesday * 21:35 | 国内ミステリ | comments(0) | trackbacks(1)
* 『闇の守り人』上橋菜穂子
評価:
上橋 菜穂子,二木 真希子
偕成社
¥ 1,575
(1999-01)
 からだについた傷は、ときがたてばいえる。だが、心の底についた傷は、わすれようとすればするほど、ふかくなっていくものだ。
 それをいやす方法はただひとつ。
 きちんと、その傷をみつめるしかない。(本文より)

 本書は『精霊の守り人』の直後、チャグムを守りきったバルサは、タンダやトロガイと別れ、それまで忘れようと務めていたつらい自分の過去と向き合うため、数十年帰っていなかった生まれ故郷のカンバル王国にやってくる。昔、父を殺されたバルサは父の親友ジグロに助けられ、故郷を去ったのだった。そのことがどういう形で語られているのかようやく知ったバルサ。ジグロに着せられた汚名を晴らそうとするのだが――。

 前作から一転、女用心棒バルサの過去にまつわる陰謀と現在の故郷の様子が描かれた、これだけ単独で読んでもまったく支障のない話です。でも、やっぱり前作『精霊の守り人』を読んでいたほうが、バルサの回想シーンに出てくる人々の名前や、新ヨゴ皇国と比較した際のカンバル王国の貧しさがくっきりと際立って感じられることでしょう。潤った国ヨゴとは違い、ヤギを飼い、数年から数十年に一度<山の王>から送られる宝石によって生活が成り立っているカンバル。武人たちは冬になると出稼ぎへ出かけ、家を離れる。
 前作でちらっとバルサの口から出ていた、育ての親ジグロとバルサの過去がはっきりとわかる今回は、「精霊〜」とはまた違った、人の心や世の中にある「闇」について描かれていました。
 ヨゴとは違う神話や伝説のあるカンバル。私たちのいるこの世界もそうですが、土地が違えば価値観も思想も変わるのだということが無理なく自然に描かれていて、今更ながら、上橋さんの中にこの物語世界がくっきりと存在しているんだなと思いながら読んでいました。
 卑劣な前王や氏族の英雄が出てきます。卑劣ではあるけれど、彼らにとってはそれは当然の行為であり、とってつけた悪役ではない生々しい賢さや狡さがあって、なんかもうめちゃくちゃ腹立つんですよ(笑) 本を読んでいて本気で怒ってる私。そしてそんな彼らと相対したときのバルサの格好よさといったら――。「運命」という言葉で片付けることを許さない強さに惹かれますね。
 ジグロがバルサを守るために刺客を殺すたびに泣いていたその本当の理由がわかったとき、奸計は深く非常なもので、最初に見えたように思われたものよりももっと複雑に絡み合った苦味と哀しみがあったことに気づかされます。
 終盤の山場である闇の守り人<ヒョウル>との対峙は圧巻でした。このシリーズは、戦闘シーンの迫力も魅力のひとつだと思います。

 話の中にティティ・ラン<オコジョを駆る狩人>というのが出てくるんですが、それがもう可愛くて凛々しくて、今回だけでなくまたどこかで出てきてくれることを望みます。私は書籍版で読んでいるので挿絵もあったんですが、ほんとに可愛い。オコジョに乗った小さい人なんですけどね。
2007.04.24 Tuesday * 18:17 | 上橋菜穂子 | comments(0) | trackbacks(1)
* 『凍りのくじら』辻村深月
 藤子・F・不二雄をこよなく愛する、有名カメラマンの父・芦沢光が失踪してから五年。残された病気の母と二人、毀れそうな家族をたったひとりで支えてきた高校生・理帆子の前に、思い掛けず現れた一人の青年・別所あきら。彼の優しさが孤独だった理帆子の心を少しずつ癒していくが、昔の恋人の存在によって事態は思わぬ方向へ進んでしまう…。家族と大切な人との繋がりを鋭い感性で描く“少し不思議”な物語。(「BOOK」データベースより)

 正直言ってこの主人公が好きになれず、本書の4分の3くらいまではずーっと鬱陶しい気分で読んでいた。話も進まないし、主人公は傍から見てれば特別でもなんでもないのに、やけに自分は世界から断絶されていると思っているようだし。孤独に苛まれているというよりは、淋しいと素直に言えずに変な拗ね方をしている頭でっかちな女子高生という感じ。
 全編に散りばめられた「少し・ナントカ」という分類にもうんざりしていた。なんかもう全体的にイタイのだ。「痛々しい」んではなく、「イタイ」。他者を馬鹿にして一段低く見ている態度も、ずるずるダメ男の元カレと切れずにいることも。
 他人を馬鹿にして精神的優位に立って物事を見るっていうのは、一番簡単な逃避方法かつ自己愛にどっぷり浸かった行為でしょ。良くも悪くもこっちの意見に耳を貸さず、相手がどんな気持ちで自分に接しているのかを本当に理解しようともせず、勝手に引いた境界線の向こう側で傷ついたり傷つけたり。たとえ彼女が、家族と縁が薄くて母親が不治の病に侵されているとしてもだ。
 そんなわけで、『ぼくのメジャースプーン』には、まだ先生とのディスカッションがガス抜きになっているところがあったけど、これはひたすら理帆子視点で語られているので、人のアドバイスを聞かないくせに延々と悩み相談をする女の子を相手にしているような徒労感があった。終盤、元カレ若尾が絡みに絡んできて、ようやく物語が動き出したときには、ほっとして「よし、がんばれ」なんてうっかり声援をおくりそうになってしまったほどだ。
 最後に彼女はそんな自身に関する諸々に気づき、成長する……ように見えるけど、結局のところはどうなんだろう。一皮剥けたように見えるけど、その世界は依然広がっていないようにも思える。

 と、文句から先に書いてしまったけど、ドラえもんへのリスペクトはびしびし伝わってきたし、ドラえもんの小道具を章立てに使ったり、比喩や描写に使ったりしているのはとても上手いと思う。わかりやすいし、それ自体が物語の雰囲気を作り出している。繊細で丁寧な心理描写も好みだ。
 あと、元カレ若尾がだんだんと精神的に崩壊していく様は、サイコサスペンスとしては非常に読み応えがあった。こっちをメインにしていたら、と思わなくもないくらい。
 重要なキーパーソンである、別所あきらについては重要なくせに妙に存在感が希薄な気がすると思ってたんだけど、ラストにこれも作者の計算のうちだったのかも、とちらりと思った。
 まだ二冊しか読んでいないけれど、辻村さんの書く話にはやわらかさと痛々しさが漂っているように思う。それが個性となって良いほうへ向かうのか、それとも主人公と同じくぐるぐると混迷してしまうのか。この人の書く明るく突き抜けた話も読んでみたいけど、どうだろう。

【この話の中で章立てに使われているドラえもんの道具】
 第一章 どこでもドア
 第二章 カワイソメダル
 第三章 もしもボックス
 第四章 いやなことヒューズ
 第五章 先取り約束機
 第六章 ムードもりあげ楽団
 第七章 ツーカー錠
 第八章 タイムカプセル
 第九章 どくさいスイッチ
 第十章 四次元ポケット
2007.04.23 Monday * 17:14 | 国内ミステリ | comments(0) | trackbacks(1)
* 『夏の名残りの薔薇』恩田陸
評価:
恩田 陸
文藝春秋
¥ 1,950
(2004-09-25)
 山奥のクラシックなホテルで、毎秋開かれる豪華なパーティー。その年、不吉な前兆と共に次々と変死事件が起こった。果たして犯人は……。

 物語は、英国調のクラシックなホテルで起きた変死事件をいくつもいくつも折り重ねて編んでいく。『Q&A』を読み始めたときに「これは恩田陸版『藪の中』かな?」と思ってラストでホラーになっちゃったんだけど、この『夏の名残りの薔薇』こそ恩田陸版『藪の中』という感じ。語り手が各章ごとに次々と代わり、前章で語り手を務めた登場人物が次章の語り手によって観察、描写される。そして前章で起こった変死事件が次章ではなかったものになっていて、また新しい変死事件が起こる。
 舞台も登場人物も限られたクローズドサークルものが好きな人にはいいかも。でも、きっちりとした「犯人探し」を求めている人にはお薦めできない。文章はとても雰囲気があって素敵なんだけど。

 高評価でないのは、
1.この物語の背景ともいえる「去年マリエンバートで」という映画を知らない。
2.引用文がシナリオ形式で苦手である。
3.冒頭の主題に出てくる人物が誰なのかはっきりしないまま終わってしまった。
 という理由から。特に2の引用文がシナリオ形式というのはきつかった。例えて言うなら、ポップ音楽が詰め込まれたCDの途中に何度もクラシック音楽が挿入されているのを聴くような感じだろうか。かなり頻繁に引用文が出てくるので、それまでの読書リズムがそこでガクンと落ちてしまう。で、またリズムに乗り始めたところでガクン、の繰り返し。小説も脚本も同じように読める人なら気になるまい。私は一定のペースで読めなかったので、この引用文の役割は重々承知していながら、どうにも邪魔っけに感じてしまった。

 巻末にある恩田陸のスペシャルインタビューや、ミステリ評論家の杉江松恋による解説は読み応えがあったと思う。
2007.04.22 Sunday * 00:05 | 恩田陸 | comments(0) | trackbacks(2)
* 「恐ろしき錯誤」江戸川乱歩
 北川氏の歓喜は勝利の悲哀に転ずる一刹那前のクライマックスに達していた。
 彼は今、歩きつづけながらベースボールの応援者達が、「フレー、フレー、何とかあ」と喚いて躍り上る時の様に、躍り上った。そして、気違いの様に涎を垂らしながら、ゲラゲラと笑った。夥しい汗が、シャツを通して、薩摩上布の腰のあたりをべっとりと湿していた。真赤に充血した顔からは、ぽとりぽとりと汗の雫が垂れていた。(本文より)

 北川氏は愛妻を火事で亡くした。仕事にも行かず、家で泣き暮らしていた彼だが、友人から火事当日の話を聞いて、妻がある男によって謀殺されたのではないかと思うようになる。そしてとうとう復讐を決行するためにその男のもとを訪ねるのだが……。

 北川の異様な歓喜ぶりに「うわあ、こいつなんか怖い」と目が釘付け。乱歩はこういうイッちゃった人間や、なにかに異様に固執する人間を書くのが上手いですね。夏のじりじりした暑さと相まって、北川の尋常でない様子が終始鬱陶しくまとわりつく。彼の長談義を読んでいるうちにその妄執にひきずりこまれそう。ただもう北川という男のキャラクターに圧倒されます。
 復讐するのにそんなまわりくどい方法をとらんでも、と思わなくもないのですが、こういうやり方を好むところが彼の性質をよく表してるのでしょうがない。即実行断罪するのではなく、相手の顔色を窺いながらじわじわと楽しむようなところがね。そのくせ詰めが甘いんだよ、北川! 練りに練った計画が……、ああもう。
 結局、真相はどっちなのでしょう。犯人は誰なのか。そして本当に夫人は謀殺されたのか。私はなんだか夫人が自殺したようにも思えるんですが。
 まあ、何事もあんまり思い詰めないほうがいいですよ。

■出版社■
 光文社文庫 『江戸川乱歩全集 第1巻 屋根裏の散歩者』所収
2007.04.21 Saturday * 00:05 | 江戸川乱歩 | comments(0) | trackbacks(1)
* 『ハルさん』藤野恵美
評価:
藤野 恵美
東京創元社
¥ 1,680
(2007-02-28)
 ふうちゃんの結婚式の日、お父さんのハルさんは思い出す、娘の成長を柔らかく彩った五つの謎を。幼稚園児のふうちゃんが遭遇した卵焼き消失事件、小学生のふうちゃんが起こした意外な騒動……。心底困り果てたハルさんのためにいつも謎を解き明かしてくれるのは、天国にいる奥さんの瑠璃子さんだった。児童文学の新鋭が、頼りない人形作家の父と、日々成長する娘の姿を優しく綴った快作!(出版社 / 著者からの内容紹介)

 最愛の妻を亡くしたハルさんと愛娘ふうちゃんの、日常に起こるちょっとした出来事の謎を解く話。全体的にほのぼのしているんだけど、このハルさんの弱々しさがもう、なんというか要所要所でイラッとさせられる。嫌いじゃないんだ、嫌いじゃないんだけどイラッとくるんだよなあ。べちょべちょした男の人って駄目だ……。個人的な好みの問題なので、話の出来がどうこうというのとは違うんだけど。
 一話目でのふうちゃんの幼稚園で起きた「玉子焼き消失事件」では、ふうちゃんがその玉子焼きを取ったんじゃないかと言われて、そんなことないと思いながらもでも、本当にふうちゃんが取ったのだとしたらどうしよう、僕はどうしたらいいんだ、そんなことをしたとしたらきっと僕が悪いんだ、僕は父親失格だ〜みたいなことごちゃごちゃ一人で考えて「瑠璃子さーん!(亡き妻の名前)」と泣き叫ぶ。嗚呼、なんかもう、なんかもう……胸倉掴んで「うぉりゃあぁぁ〜!」と引っ張り上げたい。
 しかもそんな状態になると決まってハルさんの脳内に亡き妻の声が聞こえ、叱咤激励されながら気を取り直し、経緯をもう一度振り返って解決の糸口を見つける。瑠璃子さん、幽霊じゃなくてハルさんの脳が非常事態を察して生み出した幻聴か? ふたりの遣り取りも夫婦のそれじゃなく、まるで母親と小さな男の子のよう。
 そんな様子にイラ〜ッとさせられながらふと思ったのは、これはハルさんの自立物語なんじゃないのかということ。よわよわでダメダメなハルさんが、少しずつ人として社会人として一人前になっていく。もともと社会生活に適していないためにドロップアウトして、好きな人形作家への道を歩み始めたハルさん。それを促したのは瑠璃子さん。そして瑠璃子さん亡き後、倹しい暮らしを送りながらふうちゃんの周りで起こる物事に対応すべく、ほんのちょっとずつ外へと向き合い出す。ラスト、ふうちゃんの結婚式に出る姿は子離れを感じさせ、一話目の様子からは考えられない社交性(人形作家として新聞でのインタビューに答えたり、個展を開いたり)を身につけるまでになった。ああ、やっぱりこれってハルさんの成長物語だ。
2007.04.20 Friday * 18:48 | 国内ミステリ | comments(0) | trackbacks(1)
* 『a piece of cake』吉田浩美
評価:
吉田 浩美,坂本 真典
筑摩書房
¥ 1,680
(2002-12)
 クラフト・エヴィング商會の本は、いつもふんわりした心持ちにさせてくれる。頭の中で探偵と一緒になって考えながら読むミステリや、ハラハラドキドキの冒険ものを読むのとはまた違う、“本を眺める”楽しみがある。見て楽しむ本。それはクラフト・エヴィング商會が手がける装丁にも表れている。余白を楽しむ感じ、とでも言うか。この本の装丁も白地が多めで、中央にワンポイントでタイトルが入っているのが可愛らしい。
 「a piece of cake」という言葉には、「一切れのケーキ」という意味のほかに「朝飯前だ」という意味もあるそうな。丸ごとのケーキではなく、ほんの一切れを楽しむような本を。そしてそういった本を「朝飯前さ!」の勢いで作っていこうという気持ちが入っている。
 自分の身の周りにあるささやかなことをテーマに、いいなと思うもの、本にしたいなと思ったものが形となった12冊の“手作り”本たち。可愛い色とりどりの本を、ケーキ屋さんのショーウィンドウを覗き込むように眺められる。私は特に「夜更かしのためのパン焼きレシピ」がお気に入り。

【収録されている本たち】
 a piece of cake
 ゆっくり犬の冒険・1
 夜更かしのためのパン焼きレシピ
 ものすごく手のふるえるギャルソンのはなし
 夜おそくの客
 BEYER NO.53
 誤字標本箱
 寄贈本
 283番目のコルク人形
 明烏
 眠い文鳥
 なんでもない白い本
2007.04.19 Thursday * 18:52 | 国内その他 | comments(0) | trackbacks(0)
* 『スコーレNo.4』宮下奈都
評価:
宮下 奈都
光文社
¥ 1,680
(2007-01-20)
 自信。それは努力して身につけるものではなく、天恵みたいに与えられるものだ。可愛さとまったく同じように。(本文より)

 分厚い本ではないのに、ひとりの女性の半生を読んだぞーという気持ちになった。丹念に綴られた少女時代から思春期、就職、もしかしたら人生の伴侶となるかもしれない相手との出会いまでが描かれている。妙に馴染む文章のせいか、ぐいぐいとかあっという間にという読書スピードではなく、さらさらと流れる小川を見つめ続けていたらいつの間にかそれなりに太さのある河口へと出ていました、という感じ。そこは終着地点ではなく、どこへ向かうのかまだよくわからないけど、でもなんだか目の前がぱあっと拓けてきたぞ、という。

 古道具店を営む家の長女として生まれた麻子(あさこ)の下には、美しく、自分の気持ちをはっきりと行動に表す次女七葉(なのは)と、お豆さんだけど天真爛漫で、どんなときでも家内の空気をぱっと変えることのできる三女紗英(さえ)がいた。七葉とは親友以上に仲が良かったが、その美しさや執着心の強さに対してコンプレックスを持ってもいた。

 スコーレってなんだろうとネットで検索したみたら、スクール(school)の語源となったラテン語だとか。本書は章立てが「No.1」「No.2」〜(以下4まで続く)〜となっていて、それぞれの年代で麻子がなにかしらを学んだり悟ったり迷ったりしている。1から3までの背景や、その時々の悩みや屈託があって4へと進んでいく。各章どこかひとつだけを特別盛り上げたり劇的に描いたりはしていなくて、それがかえって一本の道というか川の流れのようなものを感じさせられた。
 1と2でこれでもかと書かれていた七葉へのコンプレックスが、家を出て独立したあたりからぱったりと出てこなくなったのは、少し残念な気もする。物理的に離れれば視界にも入らず悶々とすることもなくなるだろうけど、ちょっとあっさりしてないか?と。もっとこう「呪縛から抜け出せた!」というはっきりしたなにかをどこかで期待していた。けど、実際のところはこんな感じなのかもなあ。社会人になって右も左もわからずに日々職場で打ちのめされる状況じゃ、妹のことなどいちいち胸の奥からひっぱりだしてあれやこれやと懊悩する暇もないだろう。よっぽどのマゾ気質でもない限り。ただ、麻子たちの祖母についてはもうちょっとその後に大きくかかわってきてもよかったとは思う。「No.5」や「No.6」まで続いていたら、祖母の存在が活きるエピソードが出てきたかもしれない。もし万が一、続編が出るようなことがあったときには、そこのところを読んでみたい。

 こんなにも長い年月にわたる屈託を描いていながら、読んでいてちっとも暗い印象を持たなかったのは、そうやってコンプレックスを抱えることこそが、麻子の矜持に由来するものなのだとわかったからだ。卑屈でうじうじしているのではなく、顔をあげるきっかけを求め、凛と胸を張る方法がわからずに迷い歩いている姿。彼女ならきっといつか光を見つけるはず。自分の持っている(読者には見えているのに彼女自身はまったく気づいていない)資質に気づくはず。そういう思いが終章で「ついにやったね」「みつけたね」というささやかなカタルシスへと繋がったのだと思う。
2007.04.18 Wednesday * 16:26 | 国内その他 | comments(0) | trackbacks(2)

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