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評価:
宮部 みゆき
幻冬舎
¥ 1,890
(2006-08)
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私は、我々の内にある毒の名前を知りたい。誰か私に教えてほしい。我々が内包する毒の名は何というのだ。(本文より)
散歩途中の老人が、コンビニで買ったウーロン茶を飲んで死亡した。首都圏で発生している無差別連続毒殺事件の犠牲者のひとりと見られている。今多コンツェルン社内報編集部にいる杉村三郎は、職場のトラブルメーカーであるアルバイト女性の身上調査をするうちに、この犠牲者の孫娘である女子高生と知り合い、事件に巻き込まれることになる――。
前作『誰か―somebody―』よりもこちらのほうが好きです。というよりも、今作でようやくこのシリーズが動き出したような感じがします。
『誰か』では主人公の杉村に終始イライラしてしまってしょうがなかったんですが、今思うとそれは逆玉の輿に乗ったというだけで痛烈に皮肉られたり面罵されたりしても言い返さない杉村に対するもどかしさでした。思ったことを言わずにいるのは「腹ふくるるわざ」と吉田兼好も言ってますし、見ているだけでストレスが溜まっちゃってしょうがなかったんですよね。この作品では相変わらず言い返しはしないものの、ほんのちょっとだけ杉村が自分の中にあるものを自覚したので一歩踏み出した感がありました。杉村のトラブル引き受け体質は単にお人好しで優しすぎるからじゃなく、彼個人の資質と現状に対する鬱屈の表れに見えます。
無差別連続毒殺事件と杉村の職場のトラブルメーカーのふたつが軸となって話は進んでいきますが、そこにはシックハウス症候群や土壌汚染問題に介護問題と格差といった、様々な負の要素が盛り込まれていました。どれもこれもひとつだけを切り取って解決できるものではなく、幾つもの不幸の種が芽吹き絡み合いながら成長していくことでどんどん閉塞感が増していきます。もがいてももがいても向け出せないスパイラルは、ちょっと『火車』を思い出したりもして。
宮部作品を読んでいると、たまにものすごく怖くて不安になります。ホラー的な怖さではなくて、現実として怖い。普段目を瞑って歩いている橋が、本当は目を開けると大峡谷に渡された一本の綱で、気づいてしまったが最後、次の一歩が踏み出せなくなってしまいそうな、そんな心持ちにさせられるんです。杉村のことをお人好しだのなんだのとは言えませんね。
シリーズが動き出し、杉村の内面にも変化があったと書きましたが、それはこれから先波乱を呼ぶ予感でもあります。波乱の末に大団円……とは、ならなさそうだなあ。
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