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評価:
小川 洋子
角川書店
¥ 1,365
(2007-09)
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9作品を収めた短編集。どの話も不思議で奇妙で時に捻れているのに、不気味と感じさせないで夜のしっとりとした空気を思わせるのは、すべて小川さんの文章が美しいからだと思う。全体のトーンは夜だけれど、内容は様々でどれも面白く読ませてくれる。短編が上手い作家さんだと思った。
■「曲芸と野球」
いつもグラウンド脇で練習している曲芸師の女性と野球少年の主人公の話。アットホームな内容になるかという予想を裏切って、少しせつない話になっていた。
■「教授宅の留守番」
家を焼け出されたD子さんが、ちょうど海外赴任することになった教授の家を留守の間管理することになったと聞いてその家に招かれた“私”。教授がなにか立派な賞を受賞したらしく、次から次へと祝いの品が届いて――という話。
読み始めすぐに「え?」と思わせる描写があって、その後何事もなかったように話が進むけれど、読んでいるこちらはどんどん背筋がゾワゾワしてくる。怪談ではないけれど怖い話。主人公はどうなったのだろうか。
■「イービーのかなわぬ望み」
中華飯店のエレベーターの中で生まれ、それからずっとエレベーターの中で暮らし、エレベーターボーイをしている通称“イービー”。エレベーターの中から一歩も出たことがない彼と親しくなっていくウェイトレスの“私”の物語。
ラストシーンが印象的で、好きな話だった。
■「お探しの物件」
ある不動産屋の語りだけで進む話。そこは客の容貌に会う物件を探すのではなく、物件にあった入居者を探すのだという。渡されたファイルには、様々な物件の来歴が記されていて――。
どんな家にもそこが建てられた経緯や住んでいた人間によって、ひとつひとつ物語があるものだと思わされる話だった。自分の住んでいる家は、どんな住人を望んでいるのだろう。自分はこの家とうまくやっているだろうか。
■「涙売り」
18歳まで涙を売って生計を立てていた女性の昔語り。彼女の流した涙を擦り込むと、楽器の音色が深みを増すという。その涙を求める音楽家たちで引く手数多だった彼女だが、ひとりの人体楽団員と出会って彼のためだけに涙を流すことにする。
狂気を感じさせる終わり方だけれど、とても美しい。誰かが言った「恋に狂うというのは間違っている。恋をした時点で狂っているのだ」という言葉を思い出した。
■「パラソルチョコレート」
子供の頃、弟と“私”の面倒を見てくれていたシッターさんがいた。時折彼女と共に喫茶店へ出かけるのが楽しみだったが、ある時火の元を確認しに戻った“私”はシッターさんの家でパラソルチョコレートを食べる老人と出会う。
これも好き。ちょっと楽しくてやさしい話。自分の“裏側”にいる人はどんな人だろうと、読後しばらく考えてみた。
■「ラ・ヴェール嬢」
出張フットマッサージを生業としている主人公は、毎週月曜の夜8時に“ラ・ヴェール嬢”と心中呼んでいる老女を訪問し、足の裏の指圧をしていた。毎週きっちり一時間、主人公が指圧をしている間にラ・ヴェール嬢が語って聞かせる隠微な肉欲の話。
ラ・ヴェール嬢が語る話に、私も主人公と一緒になって聞き入ってしまった。ラ・ヴェール嬢はどんな人生を送ったのか。なぜ主人公にそんな話を聞かせたのか。本当に作家M氏と血縁関係にあったのか。いろいろ想像してしまった。
■「銀山の狩猟小屋」
知り合いから掘り出し物の別荘を紹介された小説家の主人公。秘書のJ君とふたりで下見に行くと、そこにひとりの老人が待っていた。
サンバカツギとはどんな生き物なのか、知りたいような知りたくないような。次第に主人公たちが老人のペースに乗せられて、不安な状況に陥っていくのが怖かった。
■「再試合」
野球部のレフトを守る選手に恋をして、いつもひと気のない場所でそっと見守っている主人公。野球部が甲子園に出場することになって、彼女も外野席から彼を見守るのだが――。
この本が、野球で始まり野球で終わる構成になっているのは、小川さんが野球好きだからだろうか。
この時がずっと続けばとか、あの瞬間をもう一度味わいたいとか思うことがあるけれど、それは過ぎ去るものだからこそ名残惜しく懐かしいのだろう。ずっとその中にいられたとしたら、そこはおとぎ話のような世界だろうか。
【収録作】曲芸と野球/教授宅の留守番/イービーのかなわぬ望み/お探しの物件/涙売り/パラソルチョコレート/ラ・ヴェール嬢/銀山の狩猟小屋/再試合
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